2011/11/30

バランス


インドで働いていたときに録音した取材の様子を久々に聞いた。

何を聞きたいのか、どういう記事を書くつもりで
話を聞きたいのかよくわかっていないことが見え見えすぎて、もう酷さに泣いた。笑

あのときはスケジュールをこなすのに精一杯で、
読者が何を求めているのかわからないままだったなー・・。


俺ってでかいことを言いつつも、やっぱり実力としても
経験としても未熟で、本当に「まだまだ」なんだよなぁ。
でもこういう悪い自分とも向き合い、一つひとつ地道に解決していかないと、
自分がありたい姿には追いつかない。

現実と向き合いつつ、未来を見据える、このバランスだね。

日本人が世界で最も、日本に期待していない


日本人が世界で最も、日本に期待していないと思う出来事があった。

先日、ポーランド在住20年で日本食レストランを経営している
日本人の方に出逢う機会があった。
彼は57歳、ベルリンの壁崩壊をニュースで知り、
ポーランドにやって来て事業を起こしたそうだ。

当時僕が生きていたとして、ベルリンの壁崩壊を見て
チャンスだ、とは絶対に思わなかっただろう。
仮に思ったとしても、ヨーロッパに渡ろうとは確実に思わなかっただろう。

結局彼は成功し、チャンスをものにしている。
その機会を「好機」ととらえ、行動に移しているその実行力に驚いた。

しかし、彼の口から出てきたのは「人生には運と不運がある」ということだった。
彼はバブル期にどれだけ容易に資金を調達できたのか、
あのころの東京にどれだけの価値があったのかを語る。

ここまでは良かった。
僕の知らないバブル期の話が非常に新鮮で面白かった。

しかし、彼はここから現代と比較し、
日本がいかに「不運」な状態かを語り始める。
震災による雇用激減、放射能の影響による農産物の影響、
オリンパスや大王製紙を始めとする日本企業の体制について。


自分がどれだけ運の良い時期に生まれ、
今生まれた人がどれだけ運が悪いかという事を話されているようで、
あまり良い気持ちがしなかった。

これからの時代を作っていくのは彼のような世代ではなく、
僕の世代やこれから生まれてくる子どもたちである。
この「不運」な時代を背負うのは僕たちだ。
そして「不運」な時代を作ってきたのはまぎれも無い、あなたの世代だ。
でもだからと言って、上の世代を責めるようなことは決してしない。
無意味で、生産性のないことだから。

むしろこれからの日本がどうしたら良くなるのか、
一緒に議論して解決策を模索したい。
日本のことについて口を開けば、良くない話ばかりなのはもう飽きた。

就職難、政治不信、震災、放射能、問題ばかりなのは知っている。
非難するのは簡単。
この先、どうあるべきか、何をしたらいいのか。
僕たちはどうしたらいいのか。

そういうことを前向きに考え、実行できる人間になりたい。
もっと勉強しなきゃなぁ。

アウシュビッツメモ書き


■アウシュビッツメモ書き
・囚人に監視役をさせて暴動をおさえこむ。
・75%〜80%が収容されずにガス室で死んだ。働けば自由になる?
・少なくとも130万人が死亡。うち110万人はユダヤ人。ドイツ人も含まれる。実際の数は不明。
・We must free German nation of Poles, Russians, Jeus and Gypsies. ドイツ政府の言葉。正義の反対は、他の正義だと知った瞬間。
・ユダヤ人種は存在しない。それなのにこの収容。根拠のないことがまかり通る。
・アウシュビッツが安住の地だと伝え、すべての財産を持ってこさせ、没収した。人を残虐に殺すためのガス室、ではなく収容できなくなった囚人を円滑に排除するためのガス室。国家政策をスムーズにこなすためのガス室。
・働けない子どもに価値はない。子どもを安心させるために母親とともにガス室へ送った。
・残虐なまでの国家政策に頭を巡らす人もいた。
・収容し大量虐殺している合間も、ドイツは国際関係を維持し孤立していなかった。
・トップレベルの医師による、働き人のSelection。漏れた人はガス室いき。
・囚人が苦しんでいるのを見ても罪悪感を感じない。人間の習性としての可能性。
・バイエルンなどの石油企業、薬品会社でも囚人は労働力として供給され、民間企業からアウシュビッツは収益を得ていた。この国家政策に民間企業も協力していたという事実。
・囚人は「シャワーを浴びろ」と言われて安心しつつ、ガス室へ向かう。シャワーの蛇口は取り付けられているが、お湯はおろか水さえも出ない。「安心」をぶら下げてスムーズに事を運ばせる。
・ドイツ兵の精神的負担を減らすために、死体の処理はすべて囚人。囚人の囚人による虐殺と管理が行われていたことになる。アウシュビッツは競争の原理を巧みに利用した階級社会を作りあげた。
・ユダヤ人の髪を使って市場へ出す。髪は建築の断熱材など、人の目に触れられない場所へ使われた。
・アウシュビッツを起こしたドイツの背景。裕福な生活をしていたドイツの第一次世界大戦の敗北。裕福さを失った人々は裕福さを取り戻したかった。ヒトラーが選ばれる土壌はすでに整っていた。だからアウシュビッツを通して、人々は裕福さを取り戻した。(そして失った)
・ドイツ人も収容の対象だった。身体障害者、精神障害者、同性愛者など、社会の効率を考えたドイツは徹底的に排除を行った。
・収容される人々が財産を詰めて持って来たトランクに出身と名前を書かせた上で、アウシュビッツに預けさせた。(また帰って来るという安心感を与えさせた。が、帰ってくることはない。)
・報告時のレポートは「金 100kg, 銀 200kg」など数字と分類のみの紙1枚。そこに財産を奪い取ったという現実感はない。だが、実際に取った衣服や靴、物品の山を目の前にすると、急なリアリティが襲ってくる。
・ヒトラーは国会議員だったが、当時支持は得ていなかった。しかし連立政権を組み、大多数派となった途端、他の者を排除し独裁政権を始めた。民主主義がヒトラーを生んだ。
・廊下には囚人たちの顔写真。テロリストとして彼らを「定義」することで、監視員の罪悪感をそぎ、テロリストとしての彼らは、徐々に自らがテロリストである事を自覚しおとなしくなる。(結果、スムーズに収容が行われる)
・「優秀さ」とは。青い目と金髪をもって生まれた人種は優秀。それ以外は収容の対象。
・このアウシュビッツ博物館は教育機関。仮に自分がこの時代を生きた人であれば、どういう立場だったのか?収容される人、収容する人、政策を実行する人、そして世界中で最も多かった傍観者。僕は傍観者の子孫。
・ここ数年間でアウシュビッツの訪問者は数十万人も増えている。以前はアウシュビッツの悲惨さや残酷さを伝えていたが、そのころのドイツ政府の背景や政策を伝えるようにしたから。何が正義なのか、考えさせるようにした。
・観光に来る65%は若者。失業率が決して低くないこのヨーロッパで歴史を知ることで乗り越えると考えているのか。
・監視役の囚人はひとつ大きな部屋をもらっている。差別化と競争社会を意図的に作っている。
・人間の「習性」と向き合う、ということ。


■学んだ事
・情報を一次で理解する事の重要性。日本語で書かれている海外のことはすべて、三次、四次の情報で多くの人の主観が入っているため、正確な情報ではない。正確に判断がしたいのなら、その国の言語の感性を学び、その国の言葉で感じる事。
・歴史の面白さ。偉大さや残酷さを端的に感じるだけではなく、その時代に自分が生きていたことを考えてみたり、差別を受けた人、差別をした人、いろんな立場から考えてみる事で得られる視野の広さ。知れば知るほど、グレーになる事実。
・ガイドのプロ精神。自分の個性を排除して、できるだけ近くアウシュビッツを感じさせ、疑問を投げかけ考えさせる仕事ぶりは圧巻。「この時代はこういうことがあったんですよ」だけではなく、この歴史の教訓が現代にも通ずることをきちんと伝えていた。

2011/11/25

世界に人生を展開する


「世界に人生を展開する」という言葉を聞いて。

太田英基さんがインタビューした大田朋子さんの記事を読んでいて、
こんな言葉がでてきた。

「世界に人生を展開する」


どうもこの言葉を聞いてから、どこか嬉しい気分になる。
自分がここ最近抱いていた考えを、一言で表していたからかもしれない。



ちょうど2ヶ月ほど前から、狂ったようにYoutube上にある
「情熱大陸」を見ている。
そこにはドイツ、ドルトムントで活躍する香川選手や
イタリアなど各地で活躍する三木さん、
ツール・ド・フランスで優勝を目指す さん、
アメリカでフィッシャーとして活躍する さん、
など「世界に人生を展開する」人たちの姿があった。
(僕はテレビを一切見ないので、その姿が新鮮だった)


そしてインドで出逢った尊敬する上司や、
ウガンダで会った農業でビジネスをする同年代の姿もあり、
「世界に人生を展開する」人たちにも出逢うことができた。


そして何より、今モスクワで活躍する本田圭佑選手の影響はとても大きい。
彼に関する動画は何十回も見た。
彼の姿や人生観は尊敬しているし、とても共感している。



そういったこともあってか、ここ最近強く思うのは、
「22歳、23歳という年齢は世界に挑戦できる年齢だ」ということ。

日本が良くないから出て行こうとか、
そういうネガティブなことではなくて、
純粋に世界への魅力のほうが、日本で働くことよりはるかに勝っているということだけ。

それに実際にそういう人たちが今、インターネットを含めて
周りにいる中で、挑戦するのを躊躇する理由はあるだろうか、と。


そういうことを考える時間が前にも増して多くなった気がする。

もちろん、日本にいる大切な人たちのことを考えた上での選択をしたいし、
その選択がベストになるよう全力で努力したいと考えている。

しかしなんというか、本当にこのタイミングで海外に出て本当に良かったと思う。
これがもう1年、2年早かったらただの旅行者で終わっていただろう。
NPOでがむしゃらに働いた経験があり、就職活動で必死に悩んだことがあり、
震災という前代未聞の出来事があり、友人と一緒に最高の卒業式を作った、そして海外へ。

自分の意思決定に奇跡的に何かが噛み合っているとしか思えない。
こうして長期の旅行に出られていることもそうで、
やっぱり僕はラッキーマン、なのかもしれない。

分析の先に。


このところ、温度差が激しく、
数日体調がすぐれない日々が続いています。

昨日は短いベルリン滞在にも関わらず、
ベッドで寝たきり。
遠のくはソーセージに、ビール、壁・・。

まぁいつか来るでしょう。涙
今はポーランドへ向かう車中です。


----------------------------

これまで僕は、このブログにメモ書きとして
違う国に訪れたときに気付いたことを書き連ねています。

そういう「分析」がものすごく楽しいのですが、
最近はそのひとつの先にある「思考」や「提案」に持って行かないといけない
と思う出来事がありました。

それはケニア、ナイロビでのNGOの訪問のとき。
スラムの医療現場で働く人たちの話を聞きたいと思い、
訪問のアポイントを取り行ってきました。
すると、最初に言われた事は

「まず君の話を聞かせてよ。GiveアンドTake,だよ。」

でした。

この言葉を聞いたときに、「しくじったな」と思いました。
何もGiveするものがなかったわけではなく、
ただTakeするだけのつもりでここに来ていた心づもりを恥じました。


うーん、甘い。

まだ学生の僕がするコミュニケーションは
Give, Give, Give, Give, & Takeでなくちゃいけない。
自分が与えて、与えて、与えまくった先に、本当に欲しいものが手に入る。
まずは相手に認めてもらわないと。


だからまだ「分析」で終わっているうちは
相手に与えられるものになっていない。

1. 気づき
2. 分析
3. 思考
4. 提案
5. 考察
6. 実行

っていうプロセスで企画は実行されるものだと思う。


せっかく時間あるんだから、
一つの国あたり10個くらい提案できる企画を考えないとだめだよなぁ。


2011/11/17

旅のスタイルについて


旅立ちから半年。
ナイロビで出会ったPeacefulな旅人や
今まで出会ってきた旅人たちのスタイルと
自分の旅のスタイルについて改めて考えてみました。

ずっと違和感を感じていたんです。
「旅人」というニュアンスが自分に合っていない事も
沈没したいと思う気持ちもよくわかりませんでした。


それがナイロビで会った世界放浪の詩人さんとお会いして
旅のスタイルの違いをはっきりと感じました。


LOVE & PEACE、ではない。
中学校のときに高橋歩さんの本を読んで、
共感して購入した事もありました。
が、旅立つ前に改めて読んだとき、
あまり共感できない事に違和感を感じていました。

だから旅がもつ「自由さ」というものも、
あまり魅力を感じることができなくて、途中で働いたこともありました。
確かに誰にも縛られないんだけれど、それ故に競争相手がおらず
目標がその「自由さ」の中に見つけられないんですよね。笑


じゃあぼくの旅のスタイルは何なのか。
それは「課題に出会う旅」だと思っています。

ぼくは行く国々で「What is the biggest problem in your country?」と
聞く事が多いです。
それはその国が持つ課題が国ごとに違い、
また職業ごとに違い、人それぞれに回答が違います。

その違いがものすごく面白い。
日本のテレビで見ていたケニアの課題が、
現地に行けば人々の課題となる。

課題を通して、視点が「国」から「その目の前の人」へと移り変わるんですね。


ところがもっと面白いのは、
自分の課題にも気付くことができること。

英語を話すのが苦手な事はもちろん、
国際状勢に対する勉強の至らなさであったり、
女の子が口説けない(笑)とか様々。

日本でNPOやってたときや就職活動やってたときとは
段違いに自分の課題に気付くことができています。
そのたびに、俺はもっと成長できると嬉しくなります。


だから僕の旅のスタイルは、「海外逃亡(笑)」でも
「人に出会う旅」でもなく、「課題に出会う旅」。

楽しくてたまらないですが、
それゆえにこのままではいけないな、と強く思っています。


さて、そろそろたまった仕事に取りかかります・・
現実とのギャップがまさに目の前に。w

CouchSurfingを使った集客が面白い。


先日初めてCouchSurfingを使ってイベントに参加してきました。
参加した理由は英語を話せるエジプト人が周りに少なく、
エジプトのことを知りたいのに知ることができない環境だったからです。

イベントに参加して気付いたことがあったので、
ここに記録としてまとめておきます。

参加したのは「」。
食事やパーティといったわけではなく、ただのMeeting。
ドリンク一杯を片手にネットワーキングを行うというもの。
当日は平日にも関わらず、50人近くが来ていて大変盛り上がっていました。


開催者がホテルマネジャーとカウチサーファーという点。
開催者が誰か、と聞くとホテルマネジャーとカウチサーファーの
共同開催であることがわかりました。
エジプトは現在革命の影響もあり、観光収入は激減しています。
その中で、「どうやって人を集客するか」というのはどこでも悩んでいるところ。
人を集めなければお金は集まらず、従業員は雇えず破産する。
そういうわけにはいかない、と考えたマネジャーがカウチサーフィンを
使って集客する事を考えたようです。

そもそもカウチサーフィンは現地のホストと旅人を繋ぐ役割を果たすサービス。
しかしただの宿泊サポートサービスというだけではなく、イベント機能もあり、
CouchMeetingというのが世界各地で行われています。
そこではネットワーキングが行われ、ホスト同士の出会いの場だけではなく、
お互いの文化を交流する貴重な機会となっています。

参加者はMeetingに参加するために15£Eを払います。
この金額は紅茶一杯にしては高額で、普通の紅茶の7,8倍する金額です。
すると会場には約50人近い人がいたので、
15£E×50人=750£Eを集められるというわけです。

それを毎週火曜に開催するので、
平日で客が少ない時期に定期収入を得られる最高の機会となっているのです。



実に人々のニーズをうまく捉えたイベントだと思いました。
イベントも多いに盛り上がっていて、全体の写真を撮る事を忘れたほどです。
職業もバラバラでとても楽しい時間となりました。

ただイベント自体はもっと良くなるポイントがたくさんあったので、
もったいないなぁ、と思うこともありました。
とはいえ、CouchSuringが集客の一つのツールとなる可能性を感じて、
とても勉強になりました。

エジプトメモ書き


エジプトメモ書き

・話を聞いた人のほとんどがエジプト革命に参加している。タハリール広場に行ったり、他の場所での集会に参加したり。
・ムバラク政権時代は本当に悪かった。なぜならスエズ運河通行料で多額の収益を得ているのにも関わらず、自分たちが全く豊かになっていなかったから。でも今はもっと悪い。なぜなら無政府状態だから。選挙をすれば変わる。
・宗教観の違い。ここはムスリム教。Allahというものに知識がなさすぎる。
・英語が通じない。公用語がアラビア語であるということと、学校でSpeakingをあまり教えないため。
・教育先進国かと思いきや、識字率が50%と低い。会話はできても読み書きができない人が多い。
・外貨収入源は石油、スエズ運河通行料、観光収入、外国からの送金。しかし近年は旅行者が減って観光収入は激減。ホテルは人員を削減し、残った人の給料も半分にした。だから仕事が無く暇している。
・特に日本人観光客にいたっては、2月のエジプト革命以降、危険というイメージが先行しかつ地震などで旅行に出る事が難しくなり激しく減少。日本語ガイドの仕事も減った。
・選挙が近く街中にはポスターや垂れ幕がかなり掲げられている。どういうポイントをみて投票するのか。気になる。
・韓国製品は安く、KIAやHYUNDAIなどの車のブランドを多数見かける。しかし日本ブランドの信頼性は高く、TOYOTAやPanasonicなど知名度は高い。技術立国だと思っているエジプト人が多かった。
・しかし父親が日本に長く働いていた、という人の話を聞くと、彼の父親は日本をhateしていたという。理由はHard Workで、宗教に対して理解がないから。イメージとのギャップは大きい。
・エジプト人は出稼ぎに他の国へ行く人が多い。リビアやサウジアラビアなど。リビアやサウジアラビアの人たちは仕事をしないため、エジプト人が代わりに仕事をして稼ぐのだという。しかしリビアは状勢が安定しないため、出稼ぎにも行けない、という。
・食べ物は焼き芋、焼きトウモロコシ、パンに何か揚げ芋をはさんだものなど。安く美味。
・女性は夫と家族にのみスカーフを脱いだ姿を見せる。宗教。何で女性を判断するのだろうか。顔面偏差値低い女性は大変そう。(嘘
・渋滞が多い。
・喫煙率が異常に高い。トルコも高かった。
・人がとても優しい。誰だだますなんて言った人。笑
・日本人の沈没者多し。物価安いからか。ある沈没者に言われたのが「こっちの人は正当なお酒を買いたくても買えないからDutyFreeで買って来てほしい」と言われた。かなり怪しく詐欺の手口かと思ったので断った。おそらく転売している、と思う。
・缶の空け口が面白い。なんか上品に見える。
・水タバコを吸っている人多すぎ。昼までも深夜でも見かけた。そんなに好きか?


以上。
明日はエジプト人とランチなのでそれもまた楽しみ。

旅立ちから半年、振り返る。


日本を出国して早いもので、半年が過ぎました。
2011年5月13日に出国して、タイのバンコクに到着。
あのときは空港に着いてすぐにトイレに籠り、
抑えきれない興奮と不安を必死に落ち着けようとしていました。


あれから半年─────

訪れた国は13カ国になりました。
半年前は初々しかったバックパック姿も、
だいぶ慣れてきたように思います。

半年間振り返ってただ一つ、自分に問いかけたいのは、

「あれから何か変わったのか」

ということ。
旅に出たからと言って、何かが劇的に変わるわけではありません。
それでも心のどこかで、何かを変えたいと思って飛び出してきました。


結果、どうだったのか。


僕は変わっています。それもかなりのスピードで成長している。
なぜなら人生を懸けて目指したいと思う姿を、鮮明にイメージできていると思うからです。
1年前も、2年前もイメージできなかったことが今できていると思います。
それに、目標に対して何をすればいいのかもわかっているし、既に実行に移しています。
だから今、旅中で目標に対して遠回りしてはいるけれど、
辿り着くイメージがあるので心配はしていないです。


こんなふうに、「旅で人生の目標を見つけた」なんてお寒い事は言わないようにしよう、と
思っていましたが、よくよく考えれば誰に評価されたい人生を選びたいわけでもなく、
自分が自分の人生に納得して死ぬ、という人生を選びたいわけで。
だから声を大にして言いたい。
この半年で僕の世界観は劇的に変化し、僕もまた成長していると。
僕にとってはこの"世界一周旅行"は、"修行"です。


旅は残すところ、4ヶ月になりました。
帰国する頃にはかなり変化していると思いますし、
毎日の弛まぬ努力によって変わらねばならないと思っています。


そして無事に帰国し、その証を大切な人たちへ見せること。
そこが最低限の目標ですかね。



半年を過ぎ、改めてお世話になった方々に感謝。
そしていつも陰で支えてくれる家族、友人、彼女には心底感謝しています。

残り4ヶ月も、どうぞよろしく!



2011年11月13日
濱村拓巳

2011/11/07

あふりか、音楽


アフリカ、音楽、うるさい。

眠れない。
時刻は深夜2:28、SMAPのライブはとっくに終了して終電の時間だぞ。

窓を閉めようにも窓が割られているので隙間から音楽が入ってくる。
ホテル変えようかな、本気で迷う。安いしアクセス良くて気に入ってたんだけど。

I never forget you.


11月5日深夜、ルワンダ-ウガンダ間の国境を越える。
満員の夜行バスに観光客は一人、ぼくだけだった。

ぼくはこの日、ビザに必要な$50と$1しか持ち合わせていなかった。
なぜならルワンダのATMでお金を下ろすことができなく、
すべての現金はルワンダフランに両替してしまい、
国境を越える最低限のお金しか残していなかった。


ウガンダに着いたら、着いたときに考える───。


と決めて、3、4日まともなものを食べていない中、
バスに乗り込んだ。



そして国境。


学割で$25になるという噂も虚しく、
しっかり$50請求される。
ぼくは$20札2枚と、$5札1枚、$1札5枚を渡した。


しかし、国境の役人はパラッと見て、
その命の$50をぼくに返す。

「なんで???」
と聞くと,

「$1札が破れている」
とのこと。


良かった、$1札ならもう1枚持っている。
これと交換すれば万事OK、無事にウガンダに行け、


役人「もう1枚、$1札が破れてるから無理」

なかった。




「外の両替屋で両替して来て」
と言う。
冗談じゃない。ぼくはぴったり$51しか持ち合わせていなく、
両替屋でレートを変えたら$50以下になって
入国できない可能性も出てくる。
両替屋がただで破れたドルをドルと換えてくれる保証はどこにもない。


───この深夜に国境でStay・・・

そしたらどうしていいかわからない。


「たった$1じゃん!しかも5mmだけ破れてるだけで!!!」
必死で抗議した。
$1、約80円に泣くなんてマジでない。

しかし役人は取り合う様子もなく、次の人を呼んでいる。
それでもしつこく、カウンターで抗議していると、
その様子を見かねた一人のルワンダ人が
「I help you, come on outside.」
とぼくを連れ出し、両替屋へ。

彼は$2を両替屋から購入し、その$2をぼくの破れたドルを含む$2と交換した。

「これでいいだろ?早く行ってこい!」
この一言がなんと、頼もしかった事か。


急いで役人の元へ行き、Visaを発行してもらった。
もう破れてるなんて言わせない。


バスに戻ると、実は彼はぼくの隣りの席だった。
暗くてわからなかった。

名を「Frank」と言う。
ルワンダの大学のProfessorで、コミュニケーションを教えているそうだ。
ぼくくらいの歳の子どもがいると言う。


「今、アフリカでは仕事が無い、と言われているが、それはtemporary。近い将来、彼らは自らモノを生産し、仕事を得るようになるよ。だからもし、お金が手に入るならビジネススクールでも建てたいね。私はprincipalで、ビジネスは教えられないけどねww」


明かりのない異常に揺れる深夜のバスで
そんなことを話した。

カッコいい親父だった。
ほんと、いろんな人に恵まれて幸せだ。


Frank、I never forget you. Thank you very much.

宗教観。


「神はこの世界で唯一、答えをくれる存在だ」
とコンゴ人の彼は言う。

ルワンダの首都,キガリでウガンダ行きのバスを待っているときのこと。
ATMでお金を下ろすことも、両替もできなく、
空腹で3時間後のバスを待っていた。

こんなとき暇をつぶせるiPhoneも盗まれてしまい、
紙に適当な事を書き綴るか、と考えていると、
隣りの男が話しかけて来た。

32歳のコンゴ人。
ウガンダの首都,カンパラへ家族に会いに行くそうだ。
行き先も同じで、しかも久々に英語が通じる相手だったので
紙とペンをしまい、彼と話すことにした。

彼がいかに家族を愛していて、
家族と会うのを楽しみにしているか、
またぼく自身も故郷に帰るのが楽しみだ、
という主旨の話をした後、
ちょうどその日、ぼくが教会に訪れた話をした。

「ルワンダ、っていうかアフリカはキリスト教が多いよね」
と話を切り出すと、

「日本はどうなんだ」
と聞かれるので、

「ブッダだよ」
と答える。日本で最も普及しているのは神道だと思うのだが,
ぼくは神道はおろかブッダもよく知らないので、外人にもイメージがしやすそうな「ブッダ」とテキトーに答えている。
いつもはこのへんで切って、他の話題に移るのだが、
何ぶん、暇、なので宗教の話をもう少し続けることにした。


------------------------------------------------------
コンゴ人「ブッダはあれだろ、"Statue"に向かって祈るんだろう?」

ぼく「そうそう。仏さまね。お墓にもお参りにいくことあるよ。よく知ってるねー。」

コンゴ人「その"Statue"は何かあなたに問題があったときに、道を示してくれるのか?パワーをくれるのか?」

ぼく「Statueっていうか、死んだ人たちね。先祖。ご先祖様は道を示してくれないし、パワーもくれないよ。道は自分で作るものだと思うし、パワーは自分の中にあったり、人からもらったりするもんだと思うよ。」

コンゴ人「道を示してくれない、パワーもくれない。じゃあどうやって問題を解決するんだ?」

ぼく「自分で努力したり、他の人に協力したりして問題を解決するよ。」

コンゴ人「いいか、他の誰も道を示してくれたりパワーをくれたりしない。自分はもちろんだ。死んだ人たちが今までに答えをくれたことはあるか?」

ぼく「いや、そもそも答えを先祖に求めてない。辛いことがあったときや良いことがあって感謝したいときに先祖様にお参りする。安心感をくれる存在。それだけだよ。」

コンゴ人「死んだ人たちの魂はすべてサタンのもとに行く。あなたはサタンにいつも祈りを捧げているんだ。」

ぼく「ちょ、ちょ、サタンってデビルじゃん!笑」

コンゴ人「そうだ。比べてGodはこの世界のすべてを創造した神だ。だから常に答えを知っていて、私たちを導いてくれる。知っているか、誰がこの世界の"The First Man"なのか」

ぼく「・・モンキー?w」

コンゴ人「そんなわけないだろうwww First Manはアダムだ。Godがダストを拾い集めて創ったのがアダムだ。そして次にGodの骨を元に創られたのがイブだ。つまり、Godが世界を創造したのだ。 」

ぼく「ちょ、ちょww ダストってなに。ってか人間は生物の進化によってできた生き物でしょ。生物学が証明してる。」

コンゴ人「生物学なんてものは嘘っぱちだ。神がすべてを創造した。だから私たちは問題が起きたとき,神に祈り、導いてもらうのだ。この違いはわかるか。私の国、コンゴでは戦争が続いている。問題ばかりだ。しかし日本はどうだ。経済はリッチ、君は稼がずに"tourist"という身分をもらっている。この環境が違う。一度、Godを信じてみろ。2ヶ月でいい、Tryしてみるんだ。」

ぼく「ぼくはこれからどんな問題が起きようと、絶対にGodは信じない。"never"だ。なぜならこれはぼくの人生だからだ。でもわかってほしい、Godは信じないからと言って、キリスト教を少しも馬鹿にしていないし、これだけ信仰しているあなたのことは尊敬している。しかし、そのGodが全人類唯一の神だ、と人に押しつけるのは納得がいかない。世界にはたくさんの宗教があって、それを信じている人たちがいる。あなたが何を信じるかは勝手だが、その宗教の多様性は認め、互いに理解し合うべきだ。その強要こそが世界に戦争を生むんじゃないか」

コンゴ人「一度、Godを信じてみればわかる。2ヶ月でいい、やってみてくれ」

ぼく「ぜ っ た い に や だ 。」
------------------------------------------------------


ざっと書いてみたが、こういう会話がバス停でなされ、
気付いたら彼と話し始めて2時間が経っていた。
彼の語気は段々と荒くなり、ぼくもまた荒くなっていたと思う。

バスが来ると話は自然とやみ、車中でも彼と話すことはなかった。
互いに話す気になれなかったのだと思う。



どっちが良い、悪い、というのは始めからなかった。
何よりただの雑談だった。
しかし、信じるものが違えばこんなにも解り合えないのか、と
ただただおどろいた。

今まで馴染みの無かった"シューキョウ"は難しいことがわかった。
でもそれゆえに、今回の出来事で興味がわいたのも事実。




2011/11/01

ルワンダが・・


今日はいよいよルワンダに向けて出発の日。
前回は乗り過ごしたので、今回は万全の準備を持って臨むのだ。



早朝6時に起きる。うーむ、良い感じだ!
早速バスの車中で読むEvernoteやTEDの動画が
ちゃんと動作するかさらっと確認。

「よし、これで退屈しないで済む。」


次に朝食へ。
いつも通りの変わらないゆで卵にパン、ソーセージにミルクティーだが、
これがダルエスサラームで過ごす最後の朝食だと思えば容易い。
ついでにパンも買った。

「よし、これでお腹が減っても大丈夫。」


そして近くの銀行へ。
朝早すぎて閉まっていたので、近くのホテルでお金をおろすことに。
今回スポンサーとなってくれている親に感謝の思いを込めながら、
ATMを操作し、無事にお金を受け取る。

「よし、これでお金が途中で無くなることはない。」


最後にパッキング。
もう二度とチェックインする事はないであろう、YWCA。
スタッフの不機嫌な態度が最高の宿だった。
忘れ物もない。

「よし、これで準備完了!」


意を決してバス停へ向かう。
ここから長距離バスターミナルまでは、市内バスを使って移動。
この市内バスも何度使ったか分からない。
世話になったな、もう乗ることもあるまい!!!


さぁ、テンション最高潮で長距離バスターミナル、ウブンゴへ。
集合時間11:00AMにも関わらず、+気合い100万倍のため、
到着時刻は9:30AMだ。

どう考えても早すぎる。
しかし、何事も早い事に越したことはない。
ペプシを飲みながら、長距離バスの到着を待つことにした。





10:30AMになった。
そろそろ到着かー、とターミナルを見ると、
まだバスが来る様子は無い。

「そうか、今日は遅れているのかもな。
 もしかしたらぼくが場所を間違えている可能性もある。
 周辺をうろちょろしてみよう。」




うろちょろ・・・





11:00AM。
やはり指定の場所に間違いは無かった。
にも関わらず、乗客が集まる様子は無い。

「まさか、二度目の見逃しなんてことはないよな。だってチケットには11:00AMにここって書いてあるし・・。ま、念のためオフィスに・・」



11:10AM
バス会社社員A「バスはもうとっくに行ったよ。朝5:30に出発したから、今ちょうど半分過ぎたあたりかな!」




濱村「・・・」





「・・・・・・えぇっ???だって、チケットには11:00AM集合って・・」





社員A「あー、それはたぶん、こちらの間違いだね。スミマセンでした。
 お金返すから、そのお金で他のバス会社当たってみてね。」





濱「・・・・・・・・・・・・・・シネ・・・・」









というわけで、未だにタンザニアのダルエスサラームにおります。
どうやらルワンダ行きのバスは、明後日らしく、
またしてもYWCAに舞い戻ってくることになりました。

自分のミスと、バス会社のミスで、4日間余計に時間を取られる始末。
まぁ最初は怒ったけど、時間を間違えて伝えることは
ぼくにもあるミスなので、もう気にしてません。仕方ない。
ただ前回もバスに乗れなかったので、2度目もあるとさすがにキツかった。。

3度目はちゃんとバスに乗れますように。
乗り遅れた分、ルワンダとウガンダは移動時間含めて
それぞれ3日、4日しか居られないけど、思いっきり感じてこようと思いますです。


以上!切り替え!!



ルワンダへ・・


今日は朝からルワンダ移動のためいろいろ準備。
しかしいろいろとトラブル発生。

まず銀行でドルからタンザニアシリングに替えようとすると、
銀行のアカウントを持っていないと両替できない、とのこと。
ホテルのチェックアウトの時間も迫っており、
急いで仕方なくレートの悪いホテルですぐに替えてもらう。

そして走ってホテルに向かう途中、溝に足を取られ転倒。
血がだらだら、サッカーで怪我した箇所が再発。
歩いて帰ると、チェックアウトの時間は過ぎており、
荷物は外に放り出されていた・・。

仕方ない、遅れた自分が悪いのだから・・。

そしてふと時間を見ると、ホテルを出てバスターミナルに向かわないとヤバい時間。
急いでバスに乗ると、見事に渋滞発生。

集合時間の11時に間に合う様子も無かったので、
20kgのバックパックを背負って、
炎天下の中必死で歩きバスターミナルへ。

集合場所に20分遅れて到着すると、ない、バスが。
周辺の人に聞いて回ると、バスはもう出てしまったとの事・・

My bus is gone...
インドだったら確実にまだバスあったのに・・時間に正確すぎるアフリカ人・・。

バス会社の人も苦笑い。
日曜日は運行していないという事で、月曜日にKAHAMA行きのバスに乗ることになった。
そもそもアフリカは1ヶ月しか居ないので、
ルワンダとウガンダは数日しか居られなさそう・・。

自分を呪っても仕方ないので、とぼとぼホテルに帰りましたyo...

ルワンダへ?


大学の後輩、ちゃんゆーと別れて
再びダルエスサラーム。

3日近くずっと一緒に居ただけに
多少の寂しさがある。
いろいろ勉強させてもらったし、楽しかったなー!
またしばらく日本人に会う事も少なくなるけど、がんばろ。


今日はルワンダのビザを取得し、
バスの予約をしてきた。
ルワンダ大使館の人いわく、
ルワンダ直通のバスは毎週水曜日らしいので、
乗り継いでルワンダまで行くことにした。

と言っても、中継地点は地球の歩き方には乗っていない場所だ。
しかも到着するのは夜7時だという。
うーん、ちょっとミスったかなー。。

普通に怖いぞ。笑
まぁ、バスの中で寝させてもらうとか手段を考えよう。
とりあえず明日、再びドルをタンザニアシリングに替えてこよう。
キャッシュカードが使えなくて困る・・。

このブログがupできたときは、ルワンダかウガンダで
wifi環境を獲得できてるということだな。
作業したい事もあるので、予定より早くナイロビを目指そう。

それでは、この部屋にはコンセントが無く電池が無いのでこの辺で。

アフリカの子どもとサッカー。


今日はタンザニアでボランティアをしている大学の後輩と待ち合わせ。
久しぶりに会った後輩は、少し背が伸びて、そして少し頼もしい。
危険と言われるダルエスサラームの郊外でさえ、彼が颯爽と歩くのはかっこよかった。(少しだけねw)

目的地に着くと、待っていたのは元気いっぱいの子どもたちとのサッカー。
ぼくの背の半分しかない子どもから、体格も大人びた10代後半の男の子まで、
様々な子どもがサッカーをしに集まってきていた。

しかしいざサッカーをすると言っても、そこはゴールの代わりに木が2本ずつ刺さっていて、
砂場でラインもない。
子どもたちはスパイクはおろか、靴すら履いていない。
20人以上は集まっているのに、ボールはわずか1つ。

そんな状態で始まったフットボールinタンザニア。
準備運動も後輩が教えたのか、どこかぎこちないが、
リーダー格の男の子が仕切ってやっている。

試合前の練習も行った。
パス練習から、センタリング、シュートまで。
一個のボールを回して、壁を越えて飛んでいったら
返ってくるまで練習はストップ。
その繰り返し。でも誰も文句は言わない。楽しくて仕方ない、という顔をしている。

ゲームが始まった。
子どもたちは、新たに加入した外国人の助っ人(自分)に果敢にパスを回してくれるが、
その助っ人はまるで頼りにならず、「パスパス!サクーミ!(タクミは呼びやすさからサクーミと呼ばれていた)」と言われる始末。

それにしても子どもたちは上手かった。
裸足なのに細かいフェイントもできるし、オーバーヘッドなどダイナミックなプレイが目立った。
がつがつアタックする姿は力強い。

そんな姿を見ていると、写真に収めたくなり、
カメラマン役に。
すると寄ってくるは子ども、子ども、子ども。

自分のプレーする姿が写真に映るのがテレビのスロー写真のようなのか、
プレーの途中でもこちらに駆け寄ってカメラを見る子ども。

プレーをしていない子どもも集まって来た。
中には2歳くらいの子どもがてくてく歩いて来て、
何も言わずにちょこんとぼくの膝に座ってきたときは、可愛さで思わず微笑んでしまった。

子どものたくましさと可愛さに癒された一日。
こんな一日をくれた後輩に感謝、だな。いそがしいところ、ありがとう。

サファリ。


2日目のサファリが終了。
今日になってようやくわかったことなのだが、
今回のグループにはアニマルマニアカップルがいることが判明。

16GBクラスのSDカードを複数所持し、
1眼レフを2台、実践的双眼鏡を装備する本格的カップル。

対する自分は、というと
電池の切れそうなRICOHのコンデジに、2GBのSDカード1枚。

装備だけでなく、彼らのアニマルへのこだわりから
本気度の違いを見せつけられた。
きっと彼らが違うグループだったら2時間は早くテントに帰れたはず・・。



案の定、夕方には電池も切れて、ライオンも
珍しくなくなってがっつり飽きて空と大地をぽけーっと眺める。
アフリカの雄大な空と大地を眺めていると、
今の自分の考えていることや将来の期待や不安とか
そんなものどうでもいいじゃないか、と言っているような気がしてくる。

ごちゃごちゃしたものが勝手に整理されていくような感じで
すごく気持ちがよかった。

アニマルも、アニマルマニアに振り回されるのはもうご免だけど、
ぽけーっとするだけなら、サファリにまた来ていいかな。
ありきたりな感想だけど。笑


すごいことだよ、ダンカン。


こんにちは。ハマムラです。
マーケットを廻った後、ダンカンと共にダンカンの家の近くのパブでサッカー観戦。
マンチェスターユナイテッドとマンチェスターシティの試合です。
ダンカンとどっちが勝つかBET!


結果は・・
説明したくないほど、ぼろ負けだったのでニュースでごかくにんください・・。


さて、ダンカンとビールを何杯か飲んだ後、夜も遅くなりそうだったので送ってくれる事に。
帰り際にこんなことを聞いてみました。

ハマ「ダンカン、もしお金がたくさん手に入ったら何に使いたい?」
ダン「貧しい人たちのために使うよ。彼らはノーフード、ホームレスで暮らしてる人がたくさんいるから」


この答えが正直、意外すぎて度肝を抜かれました。
なぜなら彼は満足する給料をもらえていなく(月1万円程度)、既婚で子どもが2人いるお父さんだったからです。
子どもを大学に行かせるのに使う、とか車を買う、とかそういう答えを期待して聞きました。

ところがこの答え。


ぼくが日本に居て、同じ事を聞かれたらこんなふうに答えられるかどうか・・。
この一言を聞けた事だけでもケニアに来て良かったな、と思わせられました。
すごいことだよ、ダンカン。

ケニアでチェンと呼ばれる。


今日は仲良くなったケニア人、ダンカンと街に散策へ。
市場をいろいろと見て回りました。楽しかったー。

ローカルの人しか行かないようなところまで行き、
お約束のローカル食堂でもご飯食べてきましたYO。
覚えたてのスワヒリ語で隣りに居た親子と会話。
子どもの可愛さに思わずにやにや。

歩いていると日本人はおろかアジア人も僕だけなので、
「チェン!チェン!」と言われました。
最初はスワヒリ語かとシカトしていましたが、
聞くと「ジャッキーチェン」のことだそう。
ジャッキー、こんなに有名なんだ・・。
しかしながらチェンでも中国人でもないので、「ジャパ二!」と大声で言い返してやりました。
アジア人がなんでもチェンだと思うなよ・・!!


売られている物は様々。
バックに、服や靴下、運動靴にブーツ、香水、石けん、さとうきび、魚、じゅうたん、ベッドシーツ、犬小屋・・なんでも。
物をいちいち撮りたかったのですが、残念ながらあまりカメラを持ち歩くと
危険なので全体の写真しかないのです。。

この日は日曜日という事もあり、人もわんさか、活気がありました。
道ばたでアフリカンミュージックをかけてダンスしている集団もあり。
来てよかったなぁー。