2012/04/08

蛙は諦めてその穴で死んでしまった

下記、為末大さんのツイートから引用。



おはようございます。今日は【批判を先読みする事の危うさ】について

昔Blogを書きはじめた頃に、コメントと言うのでいろいろと批判が来るようになって、それがあんまり心地よくないもんだからそう言われないような話題や意見をピックアップして書いていた。でもそれは何となく心地よくなくて、本当に言いたい相手ではない人のヤジを気にしてしゃべってる感じだった

人目に触れるようになって学ぶのは、こういう人達に話しかけたいと思ってしゃべっていても、それは誰にでもしゃべっている状態になっていて、中にはそれを心地よく思わない人がいるという事。昔のようにわかってくれる人、自分と近い人だけに話しかけるというのは、難しくなる。

当時はsnsなどがなかったから、ある程度パブリックな人間だけの感覚だったのだけど、最近は一般の人もインターネットを介し公の前で自分の意見を言うようになってきたから、これを感じつつある人が増えていると思う。普遍の意見が存在するという事自体が幻想で、意見は常に偏っている

『大丈夫?良い人になっちゃってるよ』そういわれた事があった。その時は世の中の期待に万遍なく答えようとしていて、そうすると非常に平均的で模範的なアスリート像が出来上がる。でもアスリートって職業はどれだけ本来の自分らしく偏れるかが勝負みたいな所があって、バランスを取ると大体弱くなる

批判の多くは偏りを指摘していて、批判を鵜呑みにし続けると偏らない凡庸なポジションでしかいられなくなっていく。でも人が欲しがるのも、突き抜けるのも、ある分野に偏りきって特化したもので、アスリートも完全に良い人が強い事は珍しい。みんな歪で、歪だけどそれが何かというふてぶてしさがある

世の中の安全と危険、いいと悪いの基準は本当はとても不明確。だから何かに突き抜けたいと思っている人はいつも境界線を探っていて、何処迄が許されて何処迄が許されないのかを冒険している。批判を予め予測するというのは、その境界線に近づかないという事でもあって、結局突き抜けにくくなる

二匹の蛙が穴に落ちた。他の蛙が駆け寄ってきてなんとか穴から出られるように応援したけど、どうにも出られない様子を見て、みんな諦めの言葉を口にしはじめた。それが聞こえていた一匹の蛙は諦めてその穴で死んでしまった。もう一匹の蛙はそれでも飛びつつけていつか本当に穴から出てしまった。

【まとめ】みんなが蛙に駆け寄った。だけど、反応が無い。蛙は耳が聞こえなかった。選手は時に周囲の声に耳を傾け過ぎる。人のいう事を聞かなくなるのは危ないけれど、聞き過ぎるのもかなり危ない。少なくとも走ってる最中は耳を塞いでいる方が目標は達成されやすい。



最近、お世話になっている人の言葉から友人の言葉、もっといけば電車で聞こえる言葉まで、心に刺さることが多い。

今の耳の良さは異常だ。
だからこそ、この言葉が突き刺さった。

もしかして、今はいろんなものが突き刺さりすぎてるかもしれないな。


完璧に停滞してる。

2012/04/02

これまでとこれから。

3月10日に世界一周旅行から帰国し、日本に戻って参りました。
世界一周のことを振り返ってもまだいろんな思いが交錯していて、
きちんとまとめられずにいます。

その軌跡をようやく、ちゃんとまとめないといけないなぁ、と思う今日この頃です。


さて、帰国してからどうするの?ということをいろんな人に聞かれます。
が、正直「未定」です。笑

とりあえず、4つの軸でいこうと思います。

・大学に通う
とりあえず卒業と、もやもやしている分野(農業・行動経済学)について勉強したいと思っています。

・WEB制作会社で技術を身につける
立ち上がり間近なWEB制作の会社で働きます。プログラミングできない癖にプログラマとしてjoinする予定。きっとプログラミングの技術以外にも得られる事は多そうです。

・世界一周ノマドプロジェクトの継続
WEB制作を担当していた世界一周ノマドプロジェクト、まだまだやります。代表の成瀬と見えるところまで見に行きます。( http://nomadp.com/ )

・大学の先輩、藤原さんと事業立ち上げ
大学の先輩の事業立ち上げをコアメンバーで立ち上げます。かなりパワーのいる仕事で、お金にはなりませんが、絶対に成し遂げてみせる。詳しくはまた報告できれば。


以上、4つです。
逆に言えば、これ以上のことはやらない1年です。
もう十分、キャパシティ超えていると思うので。笑


ただ、大前提として、大切な人は大切にするという事。

理由は僕が死ぬ間際、「あー大事にできなかったなぁ」と思うのが嫌だから。

もしこれができなくなったら、何もかも捨てるつもり。
今はそういう覚悟でいます。



とりあえず、将来未定(笑)な濱村拓巳ですが、末永くよろしくお願いします。
ブログもちゃんと、更新しようかな。笑

僕は悩んでいる、のコメントについて.

ある深夜、facebookに下記のような事を書いてみた。




-僕は悩んでいる。
僕はいったい何がやりたいのか、ということについて。

10ヶ月間の世界一周から帰国して、まず思った事は
「自分でこれからの決断の責任を取れるようになる」ということだった。
生活費はもちろん、家賃も自分で稼げるように。
そしてこれから2年の間にするであろう、大きな決断のために。

なぜそう思ったのか。それは、この10ヶ月の旅行のみならず、
23年間、すべての費用を両親に負担してもらっていることが大きく関係している。

世界一周と言えば聞こえはいいし、たいそうなことを成し遂げたかのようにみえる。
が、実際は渡航費を除いて現地の滞在費は両親にお願いしていた。
海外のATMからお金が引き出せなくなれば、一通母にメールして振込のお願い。
そのたびに有り難みと同時に、自分の事を自分でやれない情けなさが襲ってきた。

旅行者には何年も稼いでそのお金で、夢の世界一周をしにきている人がいた。
ペルーには生計を立てるために、信号で止まった車の窓を拭き、お金を得ている子どもがいた。
インドには自分の私財を投げうって、一旗揚げようとしてる人がいた。
ウガンダには僕と同い年なのに事業を立ち上げようとしている人がいた。

そういう人たちを見て、僕は何をしているんだろう、と思う。
彼らのように生きるために必死にならず、両親に支援してもらっている。

今までの僕は、自分の事を自分でやれていなかったから、すごく格好が悪かったと思う。

だから自分の事は自分でやれるように、スキルを身につけてちゃんと稼げるようになりたい。
組織やいろんな人に対して価値を発揮できる人間になりたい。

一方で、僕は学生だ。
1年間の休学をしているため、4月から"6年次4年"と一般的な学生とは異なる。
しかも、何も背負うものがなく、自由に挑戦できる立場にある。
僕が何かしたいと言ったときに、様々な人が手助けをしてくれる、と思う。

世界的に見てもそんな数少ない、幸せな立場にいる、今。
自分がやるべきことは、果たして
「自分でこれからの決断の責任を取れるようになる」ことなのか。

もっと無茶したっていいじゃないか、学生だし。
もっと甘えたっていいじゃないか、学生だし。
もっと自由だっていいじゃないか、学生だし。

もう既に一般的なレールからは外れているのに、なぜまた戻ろうとするのか。
なぜまた小さく縮こまろうとするのか。

いったい僕はどこに向かおうとしているのか。
どこに本質があるのか。
何がいったい本質なのか。

・・なんというか、かっこわるいなぁ、自分。







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まず、予想以上に反響があり驚いた。
こんな独り言に反応してもらい、そして少なからず気遣ってもらっていることに
嬉しさと有り難さを感じています。


そして皆さんのコメントにいろんな思いを抱えながら読ませてもらい、
また今もなお、考えている。






といいつつも、考えるのはどうも苦手だ。
何もできなくなる。


動きつつ、考えないと、何も生まれない。